三田誠広『天気の好い日は小説を書こう』




芥川賞作家の三田誠広が、早稲田大学で「小説創作」演習を行った際の講義録。初版が1994年でもう14年も前だけれど、講義の内容を「古い」とは感じなかった。あぁ、そう、たしかに言われてみれば……ということで、つまり小説という表現形態が、ある程度の閉塞感を伴っているのは間違いないということなんだろうと思う。この講義録を読んで実践すれば、非常に形のあるまとまった小説を書くのがうまくなりそうな印象を受けた。ところが最近は選評やら投稿概要で言われているところの「何か輝くもの」だとか「下手でも突き抜けた一点」などというのが常套句になってきていて、つまり作る側(書く側、ではなく)がさらにそのステージから(新人にも関わらず)脱却してくれと求めているのかもしれないし、この講義録の実践内容くらいは超えている作品も多数出てきてしまっている、ということかもしれない。
みんな、書くのは上手。でも上手なだけ、なんて。なかなか厳しい文句です。じゃあどうしろって、と言いたくもなる。でもそこを超えないといけないのが難しいところだけど、そこはもう、書き手の生き方考え方創り方(いわゆる哲学みたいなもの)だから、日々の生活を彩りよくしなさい、としか言えないのだろうな。だから三田誠広の小説講義としては、これで正解なんだろう。


余談。
私の通っている大学も幾人か面白い講義をする人がいて、こうやって講義録を出してくれたらいいのに、と思う。ジャーナリズム系の人で様々なゲストを呼んで講義をする講師がいるのだけれど、この人の講義は毎回エキサイティングだった。常々考えていたのは、ネットで講義録が読めて、必要があれば動画サービスを使って授業の光景も見られるようにすれば、もっと有用に「90分間(大学の講義1回分)」を味わって使えるのに……って、そんなことしたらますます大学生が大学へ行かなくなるか。でも、別に行かなくても単位が取れるならそれでいいんじゃない。大切なのは単位ではないからね。
あー、大学で出版局か何か新設してもらって、「○○年度講義傑作選」みたいの作ってくれないかな。お前がやれよと言われても、あと半年で卒業の身なのでいかんともしがたい。私が将来大学講師になったら、やってみたいと思います。というか、やります。前提からして道は遠すぎる気もしますけれど、私が芥川賞あたりを取れば何か変わるかもしれませんね。まぁ、どちらにせよ、道は遠く険しい。