『小説の設計図』『オタクはすでに死んでいる』




さらさらとやるつもりが、意外にしっかり書きすぎているせいで結構な時間を使ってしまっている。


前田塁『小説の設計図』
佐々木敦『絶対安全文芸批評』以来、こういう批評や評論を読むのが苦でなくなってきたのもあって、最近評判がよく名前も売れており、第二次惑星開発委員会『PLANETS Vol.4』でも好印象を持った前田塁の評論集を買ってみることにした。
結論からいって、とてもいい。エキサイティングな時間を過ごせた。一章の川上弘美センセイの鞄』、二章の多和田葉子『容疑者の夜行列車』は真っ当に面白い読み解きだと思ったし、五章の中原昌也論は東浩紀桜坂洋『キャラクターズ』を用いながら解いていくところがスリリング。楽しかった。
読書家にもいいけれど、これは書き手にとっても、いい刺激になる。


岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』
薄いのでサクサク読めていい。第一章から第八章まであるが、おそらく肝心なことは第八章のみでよく、それまでの第七章は「オタクを正しく捉えていない人」たち(=メディアに踊らされている人)への解説及び説得という感じ。帯のコピーにある「思考を整理」とか「一億総コドモ社会はなぜ生まれたか」に期待して読むと、なかなかそれらの話が出てこず、半分を過ぎたあたりで不安感を覚えそうだ。これを読んだからといって何か画期的なことがあるわけではないけれど、ただ、オタク(主にアニメ・マンガ系のいわゆるところの「オタク」)の捉え方は整理・理解(容認、かな)できそうな気がする。
余談1。
私はもう最近は、自分のことをオタクとは言えなくなった。昔は自称もしていたが、今は「みんなが思ってるいわゆるオタクが好きそうなものって俺も好きだよ」みたいな変な言い方をしてしまう。要は、オタクを自称するだけの責任がないのだ。底が浅すぎるので、とてもではないけれど、私をオタクというフィールドに置いてしまうことそのものが、オタクたちに対しての失礼になってしまう、と考える。なんだろう、バンギャでいう「あがった」状態とでもいうのか(余計わかりにくいな……)。ともかく、アニメも見るしマンガも大好きだしメイドもメイド喫茶秋葉原もネットもコスプレも好きだけれど、それじゃあオタクかって言われると、そうでもない、というか……人によっては「オタクって見られたくない言い訳だろ」と捉えられるかもしれないが、私にとっては「私がオタクだなんておこがましい」という気持ちがあってのことなのである。完全に自己満足の世界のお話でした。失礼。
余談2。
あとがきの最後のページが、なんともマンガかアニメのエンディングっぽくて、電車内でつい小さく笑ったらリクスー女子に変な目で見られて涙目。