第二次惑星開発委員会『PLANETS Vol.4』




評論家の宇野常寛が主催する第二次惑星開発委員会の発行するミニコミ誌『PLANETS Vol.4』を読んだ。巻頭の東浩紀×宇野常寛の対談に興味が沸き、読んでみた。タイトルが『東浩紀の功罪』なのだが、うーむ、功罪というのは違うのではないか。私は誰かがあるテーマを論証し、生まれたものを読者が読むことで、新たな楽しみや思想や系統を獲得するのが批評だと考えている。それを「罪」と言い切ってしまうのは(宇野常寛は対談の中でも、東浩紀信者に対して辛辣なメッセージを投げている)批評を受け止めた読者に対して失礼だし、それこそ、自意識過剰な気がしてしまう……あぁ、なんか、書けば書くほどよくわからなくなってくるのだが、つまりまぁ、私にはまだハードルが高い話であったのは間違いない。それでいいのかと言われたら全くよくないのだが、宇野常寛の主張には納得も疑問も両方あった。納得には、自分の島宇宙(自分が好きなジャンルに閉じこもっていること)に足をしっかりつけすぎているから外敵を免疫のごとく廃除してしまいがちなことへの反発。これはわかる。疑問は単に、セカイ系は終わっただ何だと言っていても、それは批評や系統立ての問題でしかなく、読者にとっては「正直どうでもいい……」と思ってしまえることである。過剰に騒ぎすぎ、というか。
そこに小説が生まれるとき、それはたまたま、そこに生まれたというだけに過ぎない。愛媛川十三*1が言うところの「偶然に作ってきた曖昧な文脈」だけがそこにあるのみだ。誰かからの影響というのは認めてもいいけれど、そんな考えがあるので、だからか私はあまり時代論というのを信じられない。
あぁ、本当にわけのわからない文章になってしまった。それはそうと、『PLANETS Vol.4』は川上未映子や前田司郎のインタビューもあって、こちらは楽しめた。書き手にとっては作家インタビューはとても興味深く、いろいろ考えさせられる。
東浩紀×宇野常寛の対談と比べ、前田塁市川真人)インタビューで感じた印象で、私は前田塁好きかも知れぬと思ったので、出たばかりの『小説の設計図』を買ってみようかなぁと思っている。ちょっと、もしかすると私の嫌いな「深読み」だの「ウラ読み」だのに届いていそうな気もして怖いのだが、興味はある。うーん。


そもそも、私は書き手なのだから、ただそこにある小説、ただそこに生まれる物語のために、あまり深いことを考えずに書いてみなくてはならんのだろう。ええ加減。就職活動と両立できないようでは、社会人になってから両立するなど、まず無理な話だろうから。