『闇金ウシジマくん』(12)、『新宿スワン』(14)




現代社会の闇と裏に切り込むマンガが同時期に刊行。
闇金ウシジマくん』はサラリーマン編が完結。一見後味がよいような終わり方にも見えるのだが、最終話で小堀が残した言葉が気にかかる。この「ハッピーエンドに見えて全然ハッピーじゃないかも」というパターンは本当にやるせなくなるので、胃に悪い。でも人生なんて、胃に悪い終わり方ばかりのような気もする。(私なんてたかだか22年しか生きていないが。)でも今回のサラリーマン編は、小堀が持っているもともとの人の良さ、のようなところが評価され、作中にも反映されていたので救いがある。
新宿スワン』は相変わらずの暴力展開。(だけどそれがいい。)横浜編はこの巻、新たな人物の登場で一気に舵を切った印象がある。かなり風呂敷が広がってきた気もするから、これをどう畳んでいくのかが楽しみ。警察と裏社会の癒着というようなものがくっきり描かれていて、これも現実にあるのだろうなー……という嫌な気持ちを味わえる。もっとも、そんなもの、日本に限ったことではなく、世界中で聞かれることだ。権力下の人々は、ただその権力を揮われないように怯えることしかできないのだろうか。賢く生きなくてはいけないと思う。


両作品を続けて読んでいて感じたのだが、ふたつのマンガは「現代社会の闇と裏に切り込む」という姿勢を共通キーワードとして持っているが、その描き出し方に大きな違いがあることに気がついた。これを「マンガ」ではなく何かに喩えて言ってみると、『闇金ウシジマくん』は小説的であり、『新宿スワン』はアニメ的である。『闇金ウシジマくん』はここぞというときに語らずに風景を描く。携帯電話のカメラ越しの街並み、錆びた公園の遊具、雪の降る高速道路……それらを合間に挟み、「話さずに語る」という効果を上げている。これは会話や独白だけで話を成立させず、心理描写を表す手法として風景を描くという定石のある小説と似ている。一方の『新宿スワン』は、場面展開の速さ、主に登場人物たちの会話のみで話が進む、余計なシーンを(あまり)挿入しないという部分などが、アニメと似ている。もっとも、アニメーションでも最近は風景描写が盛んなものがあるから、「いつかの時代の」アニメという風にしなくてはいけないかもしれない。(私が盛んに見ていた頃だから、90年代くらいだろうか……。)


どちらも次巻が待たれる作品である。最近、金欠によって購読するマンガを減らしたのだけど、この2作だけは減らせずにいるし、たぶんこれからも減らないだろう。