3 連鎖する才能




初音ミクと異なる方向で、ニコニコ動画のコミュニケーション力を推察することができる。それは、作品の連鎖があるということだ。
魔理沙は大変なものを盗んでいきました』という楽曲がある。イオシスという同人音楽サークルが製作した『東方乙女囃子』に収録されているものである。このプロモーションのための動画作品が、ニコニコ動画で人気を博した。すると、今度はこの動画のパロディが作られる。楽曲を変えたり、必要のある部分を切り取って再構築したりと、いじり方はさまざまである。
さて、私は今さらりと書いてしまったが、ここには特筆すべきものがある。
魔理沙は大変なものを盗んでいきました』をスタートと考えれば、そのパロディ作品は二次創作となる。しかし『魔理沙は大変なものを盗んでいきました』という楽曲そのものが、上海アリス幻樂団というサークルの製作した同人ゲーム『東方妖々夢』内のBGM『人形裁判 〜人の形弄びし少女』のアレンジである。そこで『人形裁判 〜人の形弄びし少女』をパロディのスタートと考えてみる。すると、以下のようになる。


<一次創作>
『人形裁判 〜人の形弄びし少女』
<二次創作>
魔理沙は大変なものを盗んでいきました
<三次創作>
ニコニコ動画におけるパロディ作品
<四次創作>
ニコニコ動画におけるパロディ作品のパロディ作品
(以下略)


このように、ニコニコ動画においては、二次創作どころの話ではなくなってくる。創作者が切り口を発見しさえすれば、作品の連鎖はまだまだ続いていく。ひとつの作品が、その場だけで完結しないともいえる。
作品の連鎖によって、元ネタの創作者は自分が作った作品がどのようになってしまうか想像することは出来ない。それを肯定的な態度で捉えることで、既成のメディアではありえない価値感が生まれてくる。それはユーザーにも新たな楽しみをもたらし、創作者にも高揚感をもたらすという相乗効果を生む。
視点を変えれば、一次創作者は作品作りの際に、現在のニコニコ動画をはじめとしたインターネット上のクリエイティブな場においては、どのような素材でもパロディ化されうるという可能性を視野に入れる必要があるだろう。