In 197666と輝ける場所、そしてひたむきな若さ。




人には輝ける場所がある。
輝く場所、かもしれない。
自分から発光するのか、させられるのか、わからないけれども、存在や行動そのものが映えるところがきっとあるのだ。その瞬間、意味、感動をいかに味わい、味わえるかで、人生のある種の豊かさが得られる。数値で測れない価値となって、その人の内部で強く気高く生きる。どれだけその場所を探しうるか、飛び込めるかが、心の「若さ」が持つ唯一無二の強みなのではないか、と思う。


新宿LOFTでIn 197666のライヴを見た。ギターボーカルが友人なのである。たまらなく格好がよかった。ステージで唄う彼は、とても輝いている、と感じた。彼にとってあの場所は、輝ける場所なのだ。一観客として、数多のバンドが出て演奏する中でも最も、私にはIn 197666が映えて見えた。楽曲、演奏、歌声、そのどれもが、強かった。


『未完成メロディー』という曲の歌詞を拝借すれば、「理想の意味」なんてわからず、「上手く言えないこと」ばかりがこの世の中にはある。けれど私は文章を書いて、In 197666は演奏をして、彼は唄うのである。そうやって、「上手く言えないこと」をどうにかしたいという欲求があるだけ、私たちはもしかすると、幸せなのかもしれない。手段というのは衝動があってはじめて、意義を成す。ただ意味さえわかればいいというものではない。恋愛だってそう。人生だってそう。意味を突き詰めれば手詰まりになる。時には、たとえ「未完成」だとしても、私たちは声を荒げて、いくつもその「未完成」を拾い集めて「完成」を目指して、自分を形作る必要がある。


君が君である理由は、「君である」というだけで十分だ。
個性は「個性」という言葉を用いた瞬間に没個性となる。


自分に疑いを持たず、他人を頼らず、輝ける場所を探して絶えず歩み続けることができるか否かは、頭の中がクリアで柔軟であるかが鍵になる。鍵はいずれ鍵穴にたどり着くだろう。ドアが開くか開かないかなんて、今の時点でわかるはずなどない。
私も、In 197666も、若い。たしかにまだ若い。これから先、どうなるか、あぁ、楽しみすぎて可笑しくなるなんていえば、今の世の中では頭がおかしいなんて、思われてしまうのだろうか。新しい世界を見たい。歩みたい。


安い言葉はいらない。
ただ歯を食いしばるだけでいい。頭を使うだけでいい。
私も輝ける場所を探して、探すために、学び、手足を動かして、考えなくてはいけない。






In 197666『未完成メロディー』
(08.05.21 下北沢CLUB251


新宿LOFTのものではないけれど、In 197666のライブ映像を。
敬愛をこめて。