浅草「ローヤル珈琲店」




茶店に憧れていたことがある。
正しくは「喫茶店へ女性とふたりきりで行くことに憧れていた」ことがある。高校生になるかならないかの私にとってその情況は、とても冷静に対処しきれるほどではないと、思い込んでいた。
しかし縁というものは突然やってくる。高校生になってすぐ、部活動の3年生の先輩と、ふたりきりで吉祥寺の喫茶店へ入った。その先輩は、もちろん女性だ。黒くて長い髪がきれいだった。今となっては何を飲んだかも、何を話したのかも、一切覚えていない。どういう流れでその喫茶店へ入ったのかも、実は判然としない。ただ緊張し、それと同時に、無性に嬉しかったことは確かだ。ブラックコーヒーを、あまりうまいとは思わずに飲んでいたような記憶があるが、そのときのものかどうかはわからない。飲んでいたとしたら、おそらく見栄でしかなかったと思う。
先輩は喫茶店が好きだった。私は、よく誘われて付き合った。当時は先輩の彼氏の愚痴や相談をたくさん聞いた。今思えば、1年の中の数回のことでしかなかったはずの、先輩との喫茶店での逢引が、私の会話や態度の根幹を担っているような気がするなどと言ったら、お笑いになる方があるかもしれない。しかし、それは事実のように思える。私にとっては、至極真っ当なことに思えて仕方ないのだ。そのときに身に着けた、いや身に沁みた、あらゆる術や雰囲気が今になってもどこかで生きていると考えると、なんだか嬉しい気分になる。

だから、昨日恋人と浅草を散策している最中、喫茶店へ誘われたときは嬉しかった。彼女は弾んだ声で言った。
「あなたと喫茶店にいると楽しい」
「どうして」
「理由はわからないけれど、あなたと喫茶店に行くのが好きなの」
私はその、理由がわからないけれど、という部分が何より嬉しかった。理由が無いことが嬉しいなんていうのはおかしいのかも知れないが、しかしどうだろう、「言葉に出来ない魅力」というように捉えれば、これほど私にとって都合のいい解釈もない。私は嬉しくなって、通りかかって前々から行きたかった店へ、連れ立って向かった。
時代から取り残されたような外観だ。木枠にガラスをはめ込んだ手動ドア、くすんだ赤いベロア地のような椅子とソファ、小さなテーブル。つくられたアンティークではない、ゆっくりと時代が沁みていったような店内は、不思議と心地がよかった。客は新聞を広げているスーツ姿の男性がひとり。時間はもうすぐ夕餉の頃だった。
ロワイヤル珈琲550円とローストポークチーズのホットサンド500円をいただいた。
自慢の珈琲に中沢乳業の生クリームを溶かしたというロワイヤル珈琲は、じわっとよい苦味がきた後で、生クリームがやさしく口の中を包んでくれるようだった。コーヒーミルクを入れたものとは明らかに違う。言うなれば、ブラックコーヒーとカフェオレを同時に味わっているような面白い味がした。生クリームは甘くないので、ブラック派の私にも、抵抗はなかった。
そしてホットサンド! このホットサンドのおいしいことと言ったら! サクサクのパンをかじれば、とろっとろのチーズと存在感の在るローストポークが出迎えてくれる。時折、アスパラガスがさくさくと食感に変化を与える。喫茶店の軽食としては完璧に近いのではないか、と私は思った。分け合って食べた彼女も「こんなにおいしいのは食べたことがない」と目を丸くしていた。店の外の看板に何とかというテレビ番組で紹介されて云々という文章があったが、そんなもの、食べてしまえば吹っ飛んでしまった。言葉は実感に勝てない、そんな歯がゆささえ感じる、気に入りの逸品になった。


食日記にしては長いものになってしまった。ここまで読んでくれた人は少数だろうけれど、喫茶店に行くのもやはり少数がいい。望ましくはふたりきり。だからそう、ここまで読んだくれた人が少数でも、私は全然構わない。喫茶店での話のコツのひとつは、相手の言葉をよく聞いて話をつなげることだ。よく聞いてくれて、どうもありがとう。


「それで、この前行った浅草の喫茶店がとってもよかったんだよね。あ、ねぇ、どこかいい喫茶店知らないかな……」