清水マリコ『侵略する少女と嘘の庭』




疑いなくライトノベルとして傑作と豪語してよいと私は思うのだけれど、どうだろう。
そんな清水マリコ「嘘シリーズ」第3作目は、シリーズとしてのつながりは無視してこの巻から読んでも全く問題ないので(以前に出てきたキャラクターが少し登場する程度)、ライトノベル風な良い青春小説が読みたい人にはオススメだし、ライトノベルと一般文芸のちょうど中間あたり(ジャンル越境というより雰囲気の問題だが)を読みたい人にもオススメ。
清水マリコって、本当に本当に良い意味で、どっちつかずの作家だと思う。

(ここで清水マリコにまつわる私の読書原体験をしようかと思ったのだが、なんか長くなりそうだったのでいつの日にかに譲ることにした)

登場人物たちは中学生なのだが、大人には(当然)なれないが大人の世界をなんとなく垣間見ている/見ている気になっている世代、という雰囲気を清水マリコは上手く捉えている。中学生の抱えている「中途半端さ」を足すでもなく引くでもなく、しっかりとキャラクターに持たせているからか、妙にリアルっぽく私には感じられた。というか、身に覚えがあるようなことが次々に出てくるので、人事で読めないというような。「タイムスリップ感情移入」とでも呼ぶべき興奮があった。


りあはかがんで川原の小石をいくつか拾った。上から見ると、襟の浮いたりあのTシャツから胸元が見える。
(略)
りあが笑った。胸がツキッとした。さっき見えたTシャツの中を思い出した。おれはだめな男だ。
(P90、92)

胸がツキッとした思いを抱いたすぐ直後に、Tシャツの中を想像してしまう……そんなことが、あった。たしかにこの年代の私にもあった。ほのかな感情を噛み締める一方、ノイズのように挟み込まれる欲望(概ね性に関すること)に戸惑う自分自身と、それをなぜか許せない(しかし蔑めない=自己愛がまだ強い)と思う心情。こういう小さなリアルの積み重ねが、大きなリアルの雰囲気と想像力を生むのだろう。

だが、時たま、どうにも主人公の「牧夫」と「りあ」との会話が「エロゲー」っぽいと思ってしまうこともあった。それは、多くの美少女ゲームのノベライズを手がける清水マリコにとって仕方のないことなのか、それともそのように読んでしまう私自身の問題なのか、判然とはしないけれど、現在のライトノベルシーンがある種こういったゲーム的な発想力・文脈・文体を内包している(支持されている)ことを考えると、シーンに沿ったともいえなくはない。私はそう思いはするけれど嫌ではないタイプだが、人によっては違和感を覚えるものがあるかも、しれない。たぶん、ないだろうけれど、たぶん。なんだか、蛇足のように書いてしまった感があるな、これは。



それはともあれ、現在の書店で考えたときに、ライトノベルの棚に収まっているのが少しむずがゆいようなこの一冊、久しぶりに「あー、きたきた、これはいい」と思えるのでありました。清水マリコ先生、私はこんな良作ならば刊行ペースがゆっくりでも構わないと思いますので、これからもがんばってください。と、遅筆を詫びるあとがきへ贈ってみるのである。