山花典之『オレンジ屋根の小さな家』(8)




山花典之はあとがきで『サザエさん』に敬意を表し、ファミリーマンガを描きたいという欲求が強いと書いている。以前の巻でも同様に書いていたことがあったので、その思いはよほどの強さであったのだろう。
第38話以降(5巻以降)のナッチが好きとも書いているが、私の場合はどうかというと、そうでもなかった。実はそこに至るまでが一番面白かったような気もしている。これからどうなるんだろう、という物語作りの要素のひとつともいえる「先の展開をワクワクさせる」ようなものが希薄になっていったように感じた。ページをめくらせる力が弱くなっていったと感じた。そこには正太郎の自己啓発でも完了してしまったかのような進化があり、それこそ『らき☆すた』のかがみではないが「コイツ、聖人君子か……!?」と言いたくなるような全能万能っぷりで場を上手く収めてしまうし、ナッチも必ずと言っていいほど素晴らしく問題を解決してしまう。そのナッチの解決能力を、正太郎は「周りの人を明るくする力を持ってる」(8巻P97)と評しているが、そこには「お約束」のようなものがあまりに強く形作られてしまった気もするのである。
と、考えたのが、私は見当違いをしていたのかもしれない。
山花典之が『サザエさん』からくる流れのファミリーマンガを描きたいという思いがあれば、このような展開になるのは当然のことだったようにも思うのだ。『サザエさん』ならば、例えばカツオが問題を起こすと、カツオに波平から雷が下って解決を見る。そこには家長であり親であるものの威光が強く発揮され、カツオがさらに波平に食ってかかり問題がこじれてまた次週、というようなことにはならない。それが『サザエさん』の「お約束」であり「安定感」でもある。読者(アニメで考えれば視聴者)は心に平穏を保ったまま、物語を読む(見る)ことができる。その着地が決して悪いことではないことは、『サザエさん』が高視聴率をキープし、現在でも老若男女に愛されていることで実証されている。かえって私のような人間が、「ページを繰らせること」へのスリルや興奮に重きを置きすぎていたのかもしれない。そう考えれば、山花典之の目論見は成功だといえるし、「結婚」というひとつのゴールを迎えたことでたいへん美しくまとまった(第1部完結となっているが、おそらく第2部以降は読者の脳内でのみ展開されることになろう)と思える。
贅沢な悩みかもしれないが、正太郎やナッチが、たまには間違えてもよかったのではないか。「愛」はもちろん大切なことだし、山花典之が『聖書』の影響を強く受けていたのもわかるが、正太郎やナッチにそれらを強く投影しすぎた感が否めない。
ただ、私はこの家族の物語が好きだったし、登場人物みんなが好ましい。だからこその放言である。これから家庭を持つ(であろう)私と同年代の若者、すでに家庭を持っている者すべてに薦められる良書であることには違いない。その際には、スリルやマンガとしての面白さよりも、ひとつの読み物として読む、という姿勢を持っていたほうがいいと付け加えることを、私はあえて付記しておくことにする。


山花先生、お疲れ様でした。『ノエルの気持ち』楽しみにしています。