いとしさと切なさと日本酒




ここ数日、無性に「酒が飲みたい!」という思いに捕らわれ、しかも清酒、日本酒ではなくてはいやだ!という状態になっていた。ビールでも、焼酎でも、泡盛でも満足できない、自分のもやもやを解消するには日本酒しかない!という状態。


誰にとっても「そのとき」をモノで解消する場合、思ったよりも対象物が断定されることがある。酒であったり、金であったり、女であったり、それ以外では埋めることができないと思い込ませる強い錯覚に満ちた対象物がある。


小室哲哉が逮捕された、というニュースが日本を駆け巡ったのはつい最近のことで、こんなに昔はいっぱいお金持ってたけど事業で失敗しちゃった人が悪いことしちゃって捕まっちゃった、なんてニュースはその日一日報道すればいいようなくだらないニュースを、連日にわたって報道している。そんな彼の代表曲、というか、お金を落としてくれた曲が『恋しさとせつなさと心強さと』だ。


今は働く女性の憧れの的のようになった若き日の篠原涼子が歌い上げるその曲は、もともとはアニソンで、いきなり爆発的にヒットした曲ではなかった。聞くと忘れられないサビのメロディ性は小室哲哉が天才であったと思わせる。何年経っても色褪せない、カラオケで歌えば同年代が歓喜する。じわじわとランキングが上がっていって、気づくと累計でドドンとセールスが出ていた、そんな曲だったように思う。聴いた人の耳にじんわりと残る。


「あやまちはおそれずに進むあなたを 涙は見せないで見つめていたいよ」


これは『恋しさとせつなさと心強さと』のワンフレーズだが、今になって、小室哲哉の仕事の再評価が不運にも訪れてしまったような気がする。隣の人間、自分が信じる人間、自分が好いた人間の仕草までもが欺瞞に満ちて、信じられなくなっている昨今だ。「恋愛のテクニック」や「駆け引き」を解説する本が一定の読者を得て売れ続ける時代にあって、これだけ前時代的と思わせる愛情を歌い上げた曲が、いまだに私たちの胸に響く。小室哲哉の妻である小室桂子は、まるでこの歌詞を体現するように、報道陣に向けてFAXを出した。なぜ、響くのか。それは先行きの見えない時代にあって、これだけ高らかに言葉にできるというのが、羨ましいからではないかと思うのだ。


私はどうしても飲みたかった日本酒を飲みながら考えた。いとしさと切なさと……心強さ、しかし心強さがないから、私たちはうまく言葉にできず、信じるに足りない。しかし信じたい欲求があるのは「運命の恋」や「純愛」という言葉が頻発するので証明済みであったりする。結局私たちにできるのは、自分が感じている「いとしさ」や「せつなさ」を信じるだけであって、他人に干渉して考える「心強さ」はイマイチ信じきれない、ということなのだろう。


私は小室桂子のFAXを評価したい。彼女は「心強さ」を持って、損得感情やリアルなお財布事情だけではない、きっと何かをもっているからこそ、ああいう言葉を発したのだと。これからの彼女の働き、そして小室哲哉という偉大なミュージャシャンの今後を楽しみにすると共に、「いとしさ」と「せつなと」の次に来る言葉を私たち自身も、酔ってうやむやにしてしまうのか、小室桂子のようにはっきりとさせるのか、目の前に相手に対して考えてみることも大切なのではないか。



昼飯が早く、夕飯は23時の前ぐらいと素敵に空腹の状態で、湯豆腐を肴に日本酒を3合ほど飲んだ。泡盛も少々。食後すぐさま風呂に入り、指先がおぼつかない状況でのアドリブログ一発目、でした。翌朝、読み返して青くなりそうだ。