Blog再開します。




このところ、急にBlogに対するモチベーションが低くなってしまった。身辺で色々あったせいもあるのだけど、ここに言葉を残す・書くということにあまり自覚的になれなかったせいだ。じゃあどうせなら、ということでしばらく書かないでおいたら、俄然書きたくなってきた。そんなものである。



読書をしたり、物を書く時間を増やすことにした。というより、選び取った。私は恋人に別れを告げた。ほんの数週間前だ。理由は様々ある。今のところ、直接的にそれを書くつもりはない。ただ人によっては、話すことで反発もされるし冷笑もされるような理由である。実際に、そのような反応を頂いたり、わけのわからない仕打ちを施した奴もいる。私の恋愛観や運命的体質をも考えさせるいい体験になった。これはいずれ話すことができたら、少しは面白いかもしれない。
でもひとりだけ、この話をしたときに、変わった答えを返してくれた友人がいた。彼の答えは、何より私の励ましになった。
「それは彼女がアマチュアで、君がプロなのさ」
もちろん私は世間一般で言うプロではない。しかし例えばだが、プロの定義を精神的なものにおけば、この答えもあながち遠くなくなるような気がする。それでも、まだ甘い。プロはこんなところにいない。いないのだ。少しでも近づかなくてはなれないのだ。そこまでして、心も体も、社会的にも、プロとなる人物になるのだろう。
小説など書いていなければ、本を読むことを己に課していなければ、私はまた違った人生が歩めただろう、と思う。もっとも、その人生が正しいのか正しくないのか、優れているのか劣っているのか、そんなことはわからない。少なくとも後悔はしていないし、私の基盤に大きく関わっていることだけは疑いがない。だから、それでいいのだ。私は自分を客観視するのが苦手だ。大切なのは、自分がどう思い、考えるかだ。主観的な人生こそ、自らの能力とスキルが試される。少なくとも芸術を志す者に、客観という視点は障害であると信ずる。そうでなければ、誰が便器に「泉」と名づけるだろう? 誰が戦地へ赴いて写真を撮るだろう? 誰が異性の心情をなりきって切々と綴るだろう? 客観視する必要があるのは、それを見る人・味わう人・研究する人であって、私ではない。
今は、現在は、現時点では、そのように考えている。